ブランドストーリー

許氏アメリカ人参の原点

許氏アメリカ人参ホールディングスの設立者-許忠政氏は台湾澎湖白沙島の貧困家庭で生まれました。
中学校の規則により靴が必要だったため、産まれて初めて靴を父親から買って貰ったのです。 厳しい環境で育った彼は勉学に励み、台湾トップの国立台湾大学外国語学部に合格しました。 1969年にコロラド州のデンバー大学から全額の奨学金を受け取り、社会福祉の修士号を取得するために渡米しました。

許忠政氏とウィスコンシン州アメリカ人参の縁はこのアメリカ留学時にて、優秀な成績を収め多数の州政府に奨学金を申請した際、ウィスコンシン州の補助金の条件として卒業後にウィスコンシン州政府に働くことになったところから始まります。

アメリカ人参との縁

卒業後、ウィスコンシン州政府の子どもたちの社会福祉を担当し、仕事も給与も安定していました。
ある日偶然にもアメリカ人参はウィスコンシン州の主要産地であることがわかりました。アメリカ人参はとても貴重なもので、 当時台湾にいる病弱な母親に送りました。その半年後、父から手紙の中に母親はアメリカ人参を食用した後に体の調子がよくなり、もっと多めに実家を送りたいと述べられていたのです。 母親の体のためにも、アメリカ人参産業に投資するという考えが生まれ、今や世界中に広まったワールドビジネスを始めたのです。

最初は正直さと誠実さ等自分のルールを絞られながら働いていました。当時農業に参加した唯一の中華系農場だったため、事業開発の過程や特に自然災害と植栽技術との戦いにおいて多くの困難に直面しました。 他人からの援助が得られず、すべてを自分で調べるしかなく、当時最大の支援は彼の妻-許聖美でした。 許忠政氏は安定した優れた州政府の仕事を辞めるのは安易なことではなかったのですが、妻は「心配しないで、私は家族をサポートするために看護仕事をすることができるので、あなたはアメリカ人参事業だけ考えればいいです!」と妻と二人三脚で、今の許氏アメリカ人参の規模を与えたのです。

それから許忠政氏は、何度も米国連邦政府とウィスコンシン州政府から称賛され、アメリカ人参業界で「アメリカ人参王」と称賛されました。 70歳近くであっても自分自身を農家と見なし、管理専門の農場マネージャーをいても、彼は今でも農場で働いています。 初心で誠実な心を持つ許忠政氏は46年以上に渡り、非常に高い評価を確立しています。 ただし許忠政氏は多くの人にアメリカ人参を簡単に手に入れるため、高く売れるとも安定な価格を守る同時に、品質も誤魔化さないことを厳守しました。 世界中の消費者は許氏アメリカ人参業は「正統なアメリカ人参企業」および「信頼できる老舗な許氏アメリカ人参」などと称賛されています。

許氏アメリカ人参について

許氏アメリカ人参はウィスコンシン州ワシャにあります。
1974年に設立され、米国とカナダで最初の中華系アメリカ人参農家です。 40年の間、中華系の人々は渡米で植栽を続けてきましたが、現在当地中華系の農場は許氏のアメリカ人参農場一軒しかありません。

設立から、支社と関連会社は米国、カナダ、中国、台湾、香港、マレーシアなどに広がっており、1,200万坪以上アメリカ人参栽培土地で、 年間約45トンの高品質のアメリカ人参を生産しているアメリカ最大の人参農場です。
許氏美國花旗參は植栽、選別、分級から製造工程まで、全て厳格な品質管理を受けており、アメリカ人参農場として初めて米国食品医薬品局(FDA)の基準を満たしております。 お客様に高品質なアメリカ人参を提供するために、全て商品の産地選択、育種、植栽、収穫、洗浄、乾燥から包装まで8回の作業全てにおいて厳密に品質を確認し、生産から自販まで一元管理しております。

老許の参道

許氏アメリカ人参ホールディングスの設立者-許忠政氏
40年以上自然の尊重と理解を通して
両手と経験とともに技術を改善し続け、アメリカ人参に安定した成長環境を提供し続けます

一番きれいな水に使用することを厳守する
適正製造規範(GAP)の農業規範に厳守する
米国食品医薬品局(FDA)の標準に厳守する
品質最高の「アメリカ人参」を作るために厳守する

急速に変化する現代においても、永遠満足せずは我々のポリシー。
一見取るに足りない細部は、私たちはアメリカ人参を究極の製品にすることにポイントを当てています
安全で高品質なアメリカ人参を皆様に楽しんで頂きたい。